それは、マリア祭の終わった日のことだった。
憧れの薔薇さま方を始め、山百合会幹部を間近に拝見することが可能な、ほとんどの一年生にとっては最初で最後の行事を終えて、私も多分に浮かれていたのだろう。
特に決まった所属のない私は、部活や委員会へとクラスメイトを送り出し、職員室に清掃日誌を届ける役を引き受けて、普段よりも若干遅めに帰宅の途についた。
中途半端な下校時間は、校内の人口密度の過激な変化を引き起こす。
グラウンドや体育館、クラブハウス棟や特殊教室など、部活動等に使用される場所には生徒が集まり、通常教室棟や中庭などは人の気配がなくなる。
そんな閑散とした校内を、正門に向かって歩いていたとき、バサバサと鳥の羽ばたく音が、やたらと耳についた。
「何だろう? 鳥……にしては音が大きいし」
誰にともなくそう呟き、私は羽音のする方へと足を向けた。
好奇心、猫を殺す。
私の覗いた先では、文字通り猫が殺されていた。
羽音が大きかったのは、カラスが四~五羽いたからだ。
それらが一匹の猫を、まるで弄ぶかのように攻撃していた。
カラスと猫では、一対一でさえ猫には分が悪い。
成猫ならば、体格は互角か猫が勝る。
しかしながら、持てる武器の大きさが違うのだ。
猫には爪と、牙とはいえない歯があるだけだが、カラスには硬く大きなくちばしがある。
威力でいうなら槍と爪楊枝ほど違うが、それでも戦い方次第で猫が勝つこともある。
だがこの場合、多勢に無勢。
どう見ても勝ち目がないのなら、逃げるのが鉄則。
マリア様のお膝元でのんびりと暮らしていたため、本能を忘れてしまったのだろうか?
弱肉強食の自然界にしては、何となく後味の悪い食物連鎖を目の当たりにした私だが、それはそれで割り切れるものだ。
──普段の私であるならば。
「見るんじゃなかった……」
横たわる猫の周りに、ネズミが数匹──じゃなくて。
それが視界に入った瞬間、私はキレた。
暴力的になったわけではなく、ただ私の精神を正常に保てなくなっただけなのだが。
「うわあああっ!」
奇声を上げて、その惨状に飛び込むと、手にした鞄を振り回してカラスを追い払う。
驚いたカラスたちは、一様にその場から飛び去るが、私にはそれだけでよかった。
横たわる猫の隣に座り込み、涙でぼやけた視界の中で、私はその猫を抱きかかえて膝の上に乗せた。
昨今の女子高生にはない、ロングスカートとも呼べるリリアンの制服が役に立った。
散らばる裸ネズミ──に見えた、生まれたばかりの子猫たちもかき集め、スカートをたくし上げて袋状にして、そこに猫たちを入れて包むようにして運び出す。
この場に置いていては、ただ死を待つだけだから。
泣きながらお腹を抱える女子高生を訝しげに見つつも、運転手さんは何も言わずに私をバスに乗せてくれた。
タクシーに乗る勇気はなかった。
とはいえ、こんなものを抱えていては、とてもじゃないが走れないし、歩いていたのでは間に合わない。
車窓の景色を涙で流して、私はただ見知った景色に変わるのを待つことしか出来なかった。
一秒が十分にも感じられる時間の中で。
バスを降りて、出来る限り早足で歩く。
目指す場所に辿り着き、私は大声で叫んだ。
「先生っ、助けてっ! この子たちを……」
最後はもう言葉にならず、その場に泣き崩れるように座り込む私を見て、奥から出てきた白衣の男性が慌てた。
「ネコ?! どうした、何があった?」
「ほら、いつまでも泣いてんな」
どれだけの時間が経ったのか、すでに日は落ちて外は暗くなっていた。
白衣の男性──獣医さんは両手で親猫を抱え、手術室から出てきた。
「あ、先生……、どう?」
「ああ……」
ため息を一つ吐き、先生は私に言った。
「子供はダメだ。それ以外は全滅だ」
それ、とは、今、私の手の中にある子猫。
あの惨状の中で奇跡的に無傷だったのは、親猫の下敷きになっていたから。
身を呈して庇っていたため、親猫は逃げられなかったのだ。
「それで、その子は?」
「腹をやられていたからなぁ。五分五分ってとこだな」
「そっかぁ……」
素人目に見ても、死んでいてもおかしくなかった傷だった。
命があるだけマシなのだろう。今後の看病次第だ。
「それだってヤバいだろ。まだ目も開いてないしな」
本当に生まれたばかりの子猫。
親猫は腹部損傷で、お乳は期待出来そうにない。
それこそ、生かすも殺すも今後の飼育次第だ。
「で、ネコ、どうするよ?」
先生の目は、真剣だった。
「どうする、って……」
その意味は、私にもわかっている。
真剣に看病や飼育をしていくのか、それとも……。
「私、育てるよ。今、生きてるんだもん、この子たち」
「育てるったって、なぁ……」
先生はポリポリと頭を掻いた。
言いたいことはわかってる。けれど、私は頷けない。
「取り敢えずミルクちょうだい。哺乳びんもね。なかったら注射器(ディスポ)でもいいよ」
「……あのなぁ、お前」
そうは言いつつ、先生も諦めたのか、戸棚を漁る。
「猫ミルク……っと。確か試供品(サンプル)があったな」
スティックシュガーのようなものを投げてよこす。
それを受け取り、あとは勝手知ったる何とやら。
注射器のパックを一つ開け、作ったミルクを充填させる。
付属の注射針は使わないので、勿体ないけどごみ箱へ。
医療廃棄物として、しっかりと処分してもらう。
「飲めるかな?」
吸い口を子猫に近づけると、フンフンと匂いをかぎ、そして口をつけてくれた。
初乳は済んでるみたいだけれど、やっぱり自力で注射器から吸うことは出来なくて。
だから、子猫の飲む量に合わせてシリンダーを押してやる。
「ふむ、やっぱ慣れてんな、お前」
親猫の処置をしながら、先生は私の様子を覗き見ていた。
「哺乳びん、仕入れとくな」
「うん、ありがとう」
「で、親猫の方は入院だ。腹やられてメシ食えないからな。ついでに避妊もしといたぞ」
「え?」
「傷が子宮まで達してたからな。その子が最後の子だ」
親猫のためにも、子猫を死なすわけにはいかなくなった。
もちろん、それだけじゃないけれど。
一旦手を掛けた命、途中で投げ出すことなんて出来ない。
「了解。治療費は……」
腹部手術……一体いくらになるのだろうか?
「あ? 金なんて持ってないだろうが。カラダで払えよ」
さりげなくヒドいことを言われたような。
「ううっ……優しく、してね?」
「バカヤロ。シャレにならんこと言うな」
コツンと頭を叩かれた。どっちがよ?
まあ、本気で叩かれたわけじゃないので、それほど痛くはなかったが。
親猫はと言えば、腕に点滴と首にカラーを巻かれ、患畜用のケージへと入れられた。
「そうそう。コイツの名前、付けとけよ」
そう言って、先生は診察室へと引っ込んだ。
腕に子猫の温もりを感じながら、私は先生に感謝した。
──ありがとう、叔父さん。
to be continued...