Heaven's Gate #9

 


『一年桃組、天野都。至急、生活指導室まで来なさい』


 朝拝直前、校内放送で呼び出された都は、何が起こったのか理解不能だった。
「えっと……私? なの?」
 確かに、クラスメイト全員が都を見ている。いや、注視している。
 そして、都以外には、一年桃組に『天野都』という生徒は存在しない。
 という事は、やっぱり都が呼び出されている訳で──。
「……何だろう?」
 誰に訊いても、わかるはずがない。
 仕方なしに、都は席を立った。
 都が教室を出ると、途端にクラス中が大騒ぎ。
「ちょっと、京華っち」
 真っ先にハルちゃんが京華さんに詰め寄った。
「アレ、コレだよね。どうなってんのさ?」
 その辺の席の子の机の上からプリントを一枚ひったくったハルちゃん、京華さんの机の上に叩きつけた。
「し、知らないわよ。私だって、朝登校して初めて知ったんだから……」
 京華さんの言葉に、嘘はなかった。
 それを確信したハルちゃんは、言葉を和らげた。
「でも、いくら一年生とはいえ、部活で何やってるか、わかんないかなぁ?」
「号外の発刊は部長の権限だから、その場にいる部員だけで作っちゃう事だってあるわ。週刊号は、部員全員で作るけれど……」
「じゃあ、部長は、知ってるわけね? この事」
「多分。あ、でも……」
 クラスの大半は、この記事『リリアンかわら版・号外』を持っていたけれど、都本人と写真部の史香さん、それに持ってなきゃおかしいはずの京華さんが手にしていなかったのだ。
「私ももらってないよ──っていうか、これ配ってた連中、私の顔を見て気まずそうに逃げて行ったから……」
 とは、史香さんの弁。
「じゃあ、歌乃っち……は。薔薇の館か。まだ帰ってこないなんて、珍しいね」
 教室のスピーカーからは、朝拝の賛美歌が流れていた。
「この記事、おかしい。部長命令で入れてるはずの文責者名が、入ってない」
 穴を開くほど記事を見つめていた京華さんが、思わず叫んだ。
「……しかもみやっち、この事知らない様子だし……」
「顔写真を載せるなら、本人の許可取るはずだよ。少なくとも私の書いた記事は、原稿の段階で見せているわ」
 ハルちゃんも都も、京華さんの記事は手書きの段階で読んでいた。
 記事に書いていい事とやめて欲しい事を、歌乃ちゃんに確かめながら教室で執筆する姿だって、何度も目撃している。
「うん、だから信頼してたんだ、新聞部……でも、これは……」
 読みようによっては、単なる中傷記事にも取れる。
 それも、都だけではなく──。
「大体、みやっちにバイトなんてしてる暇は、ないはずなのよ……」
「どういう事?」
「中等部から上がったんだったら、知ってるでしょ? みやっちのご両親、事故で亡くなってる事は」
 はっと息を呑む二人──だけじゃなく、クラスでも数人は知っていたようだ。
「みやっち、お姉さん夫婦の家に居候してるから、家の手伝いするために学校から直行で家に帰るはずなんだよ……」
「じゃあ、家の手伝いって……もしかして?」
「かもしんない。詳しく聞いてないけど──」
 ハルちゃんの言葉に、お互い顔を見合わせた。
「歌乃っちなら、もっと詳しく知ってるはずだけど──」
「歌乃さん? そういえばこんな時、山百合会幹部は──」
「確認取るために現場へと動く──」
『生活指導室っ!』
 言うが早いか、三人が三人とも、揃って教室を飛び出した。


 ハルちゃんたちが生活指導室の前に着いた時、すでに扉は閉まっていて、辺りは静まり返っていた。
「ちっ、遅かった……か」
「だあれ? 舌打ちなんてしてる人は」
 クスクスと笑いながら、そこへ山百合会幹部一同&新聞部長ともう一人。
「ご、ごきげんよう……」
 部長の真美さまを見つけ、京華さんが最敬礼。
 不思議とここには、写真部長の蔦子さまが見当たらないけれど……。
 そして、ぺこりと頭を下げる、残りの二人。
「京華、貴女授業は?」
 真美さまが京華さんに詰め寄ったが、京華さんも興奮冷めやらぬ状態。
「中、捕まってるの、うちのクラスの人間ですし。担任も中にいるから授業なんてやってる場合じゃないですよ」
「それもそうね。しかし……」
 見慣れぬ生徒が、約一名。
「えっと……貴女は?」
「ハルっ!」
『えぇっ~!』
 乃梨子さまの言葉に、山百合会の面々が思わず叫び、そして各自で口を塞いだ。
「その髪は……」
 そう言いながら、乃梨子さまはハルちゃんのところへと歩いていく。
「そう、決めたのね?」
「えっと、乃梨子……さま?」
「神楽、舞うのでしょう?」
 みんなには聞こえない声で、乃梨子さまが囁いた。
「あ、はい。月末の、三〇日です」
「……そう」
 嬉しそうな顔のハルちゃんとは対照的に、浮かない顔の乃梨子さま。
 ほとんど泣きそうな顔になっていた。
「それより、どうなってるのよ?」
 と、可南子さまが一喝。
 シッと人差し指を口に当てる紅薔薇さまに、可南子さまは口惜しそうに指導室の扉を睨みつけるのだった。


 生活指導室の中には、学園長と生活指導のシスター、そして一年桃組の担任で社会科教諭の鈴原泉(すずはらいずみ)先生がいた。
 応接室のようなソファーに座らされ、目の前には学園長とシスターが。
 こちら側には都の隣に、鈴原先生。
 赴任三年目の若い先生だから、間のテーブルを挟んで、くっきりと明確にヤングチームとアダルトチームに色分けされている。
「さて、天野さん。貴女をここに呼んだ理由は、他でもありません」
 その、唯一の理由が思いつかない都は、きょとんとした顔でシスターを見た。
「もう、おわかりですね?」
 優しく諭すのは、自らの罪を告白させるため。
 だけど──。
「あの、すみません、よくわからないのですが……」
 途端に、シスターはきっと都を睨みつけた。まるで鬼の表情で。
「ここに来て、まだ白を切るつもりですかっ! 貴女は、校則違反のアルバイトをしているでしょうが」
「……は?」
 それこそ、身に覚えのない事だった。
 大体、都は速攻で家に帰って、着替えたらすぐにお店のお手伝いを──。
「貴女がK駅近くの喫茶店でアルバイトをしているという情報は、すでに学校に寄せられているのです。それも、毎日欠かさずに」
 K駅近くの喫茶店──? それって、うちの事?
「あ、あの、それは……」
「問答無用です。しかも、生徒中にも知れ渡って……」
 バンと机に叩きつけた、リリアンかわら版……?
 モノクロのコピー機で印刷されたと思わしき書面にあった大見出し。
 その一部に、都は目を奪われた。

 ──紅薔薇のつぼみの妹候補って、誰?

 紙面を手に取り、食い入るように見つめた。
 写真には、確かに喫茶店で働く都と、テーブル席で都に振り向く、髪の長い女性客の姿が、ガラス窓越しに写っていた。
 外から望遠レンズで撮られた事は、一目瞭然だった。
「これ、可南子さま? じゃあ、昨日の事なの? これは……」
 都はようやく、ある結論に達した。
 家の手伝いをしているだけの事が、アルバイトしていると思われていたのだと。
 しかも、この記事によると、可南子さまが一枚噛んでいるように書かれている。
「この記事、違います。真実じゃありません」
 思わず都が叫んだ。
「何が違うというのです?」
「紅薔薇のつぼみ──可南子さまは、昨日初めてお店にいらしたんです。しかも、偶然に。だから、私が働いている事を容認したって訳じゃないんです。可南子さまが処分の対象だなんて、そんな事は……」
「では、貴女が、この店で働いている事を、認めますね?」
 シスターの言葉に、頷く事しか、都には出来なかった。
「それでは、校則違反として、天野都を退学処分に──」
「異議ありっ!」
 異を唱えたのは、鈴原先生。
「それは、ちょっと変じゃありませんか? そんな重い処分を下そうというのに、この喫茶店の経営者の話も聞かなければ、天野の保護者にも連絡なしだなんて」
「確かに、それもそうですね」
 やっと、というか何というか、学園長が口を開いた。
「鈴原先生、まずは天野さんの保護者に連絡なさって下さいな。より多くの情報があった方が、より正確な判断が出来るものです」
 学園長の言葉に、鈴原先生が携帯電話を取り出した。
 そして、生徒名簿を片手に、ダイヤルボタンを押していく。
 この場の全員に会話が聞こえるよう、スピーカーホンの設定にして。
 数回の呼び出し音の後、女性の声がした。
『はい、カフェレスト・taskです』
「え?」
 一瞬固まった、鈴原先生。
『あの? もしもし?』
「あ、失礼致しました。そちらは、天野様のお宅でしょうか?」
『はい……そうですけど?』
 訝しげな声の、お姉ちゃん。
 それもそのはず、そこは『九尾(ここのお)』の家なのだから。
「私、リリアン女学園で、天野都さんの担任をしている、鈴原と申します」
『ああ、先生でしたか。失礼致しました。それで都が、何か?』
 鈴原先生、学園長の顔をチラッと見た。
 コクリと頷く学園長に、鈴原先生はテーブルの上の電話を取り上げた。
「いえ、実は都さんが喫茶店でアルバイトをしているという情報が、学校に寄せられまして。一応学校ではアルバイトが禁止されていますので、どのような事情なのかをお尋ねしたく……」
『ええ、先生からも、言ってやって下さいよ。高校生なら高校生らしく、家の手伝いばかりしていないで、部活なり委員会なり、学生時代にしか出来ない事に目を向けろ、と』
「は、はぁ。お家のお手伝い、という事なのですね?」
『ええ、うちは喫茶店ですから』
「わかりました。お手数をおかけしまして、申し訳ございませんでした──」
 電話を切って、学園長に向き直る鈴原先生。
「お聞きの通り、単なる家事手伝いのようです」
 うんうんと頷いて、学園長は都に話しかけた。
「どうして貴女は、家の方がそこまで言うほど、お手伝いを?」
「はい。姉が──姉夫婦が、私に住む場所を与えてくれたのです。だから……」
 都は、一所懸命に説明した。

 両親が亡くなって、入ってくるはずの保険金が、書類の不備だ何だと言われて、半額以下しか下りてこなかった事を。
 それらも家財道具も、ろくに会った事もない、電話連絡の一本すらない親戚一同と呼ばれる連中に分配され、都たちにはスズメの涙ほども残らなかった事を。
 賃貸だったマンションは立ち退きを迫られ、姉のアパートに転がり込んだ事を。
 残った家財道具の処分料が思ったよりも高くて、リサイクルショップで売れた分の代金では全然足りなかった事を。
 お姉ちゃんが大学を辞めて、その時に戻った授業料を都の高等部入学金の足しにしてくれた事を。
 そして、お義兄さんが結婚を前倒しにして、お姉ちゃんのみならず都も引き取ってくれて、普通の生活をさせてくれた事を。
 だから、諦めていた高校生活を都に与えてくれた二人だから、そんな二人の役に立ちたくて、都は都に出来る事を、ただ懸命にやっているだけだという事を。

「そうでしたか……」
 都の話に、学園長は思わず頷き、鈴原先生はハンカチで目頭を押さえていた。
 ただ、生活指導のシスターは、面白くないような顔をして……。
「ふん、大学を辞めて男のところに転がり込むなんて、なんて破廉恥な……」
 その呟きが、都の耳に入ってしまった……。
「……何ですって?」
 都は思わず立ち上がっていた。
「何が破廉恥なんですかっ! 元々結婚する予定だったのに、私のせいで時期が早まったのが、そんなにいけない事なんですか? 姉の何が悪いというんですかっ」
 泣きそうになるのを必死で堪えて、ギュッと唇を噛み締める。
 唇が紫色になり、血が滲むけれど、唇の痛みより、胸の方が痛かった。
 身体よりも、こころの方が、ずっと痛かった──。
「謝って下さいよ、私の姉に。こんな侮辱、酷すぎるっ!」
「それは、学校代表して、私から謝罪を……」
「元はといえば、貴女が紛らわしい行為をするのが悪いのです!」
 学園長の言葉を遮って、シスターが叫んだ。
「紛らわしい? それと、お姉ちゃんの結婚と、どう関係があるんですかっ! 私が悪い? それで、どうしてお姉ちゃんが、破廉恥だなんて言われなきゃなんないの? そんな事を勘繰る方が、よっぽど破廉恥じゃないっ!」
「あ、貴女は……生活指導の、この私に向かって、よくも……」
 シスターも怒るが、都の怒りは頂点を越えていた。
「生活指導? 自分を犠牲にしてまで他人に尽くしてくれる人たちの厚意を破廉恥と呼ぶ人の指導なんて、私はいらない。心底困っていた私を助けてくれた人たちを侮辱する人の指導なんて、私はいらない。それが、この学校の方針だっていうのなら、私は、こんな学校、辞めさせて頂きますっ!」
 最後の捨て台詞を残し、都は部屋の出口へと向かった。
「あ、天野さん? 待って……」
 鈴原先生が呼びかけてくれたけれど、都はドアを叩きつけるように強く閉じた。
 もう、何もかも、全てを遮断するかのように──。


「確かに、私もいらないわ……」
 吐き捨てるように、鈴原先生が言った。
「鈴原先生、貴女はお若いから、そんな事を言うのですよ」
「確かに、私は教員になってまだ三年目のヒヨッコですけどねぇ……」
 鈴原先生も、立ち上がった。
「こう見えても、リリアン歴は二〇年。ここの特殊性は、いやってほど身に染みているんです。特に高等部は、薔薇さまの名前を頂く生徒たちは、一挙手一投足を、常に監視されているんですよ。しかも、アイドル芸能人並に」
「……偶像崇拝、ですか」
「そして、その標的はマリア様なんかじゃない。ただの高校生、みんなと同じ生徒なんです。より多くの悩みを抱えさせられている彼女らの事を知ってやらなくて、生徒指導なんて出来ないと思いますけどね。私は……」
 と、鈴原先生も部屋を出るところで、学園長が呼びかけた。
「鈴原先生、血気盛んもいいですけど……」
 ドアノブに手を掛けた鈴原先生の動きが、止まった。
「薔薇の紅い色は、血の色ではないのですから……」
 淑女にあるまじき行為、首だけで振り向いて、鈴原先生は言った。
「リリアンの紅い薔薇は、汗と涙と、そして血を流して咲くのですよ。いつの時代も──ね」
 そして、鈴原先生も部屋をあとにした。
「やれやれ、これだから若い子は……」
 と、溜め息を吐くシスター。
「貴女も、シスターとしては、申し分ないんですけどねぇ……」
 学園長も負けず劣らず、深い溜め息を吐いた。
「『見聞』が、足りませんね。貴女も、そして私も──」


「そもそも、この記事には、決定的な誤記がありますし」
 歌乃ちゃんの言葉に、新聞部員がムッとする。
「この『バイトは深夜まで続き、たまに店主に車で家まで送られる事もある』ってところ、みやが何処に帰るっていうのよ?」
「そりゃあ、彼女の家でしょう?」
「車で……?」
「そうよ。店のマスターらしき男性と、他の店員と三人で車に乗って……」
「食事にでも行ったんでしょ? 家族揃って」
『えっ!』
 生活指導室前の廊下という事も忘れて、ハルちゃん以外の全員が声を上げた。
「もう少し張っていれば、その三人が揃って帰ってくるところも目撃出来たでしょうにね。大体この喫茶店、みやの実のお姉さんの旦那さまが経営なさってて、みやたちもここに住んでるのよ? 車で帰れる訳がないのよ」
「うっ……」
「それに……」
 と歌乃ちゃんが言ったところでドアが開き、出て来た都が淑女にあるまじき行為でドアを閉めた。
「みやっち……」
 真っ先に、ハルちゃんが駆け寄ってくれた。
「あ、ハルちゃん……ゴメンね、約束、守れそうにないよ……」
「約束……って?」
 三年間ずっと一緒にいようって、クラスが変わってもずっと一緒にいようって、入学式の時に三人で約束した。
 でも、リリアンを去る決意をした都には、もう果たせそうにない約束。
「みや、まさか……」
 今度は歌乃ちゃんが声をかけてくれた。
「あ、歌乃ちゃん……ゴメン。私、もう頑張れないよ……」
「だから、頑張らなくていいのよ。いつも言ってるでしょう?」
「都っ!」
 退きなさい、と、歌乃ちゃんたちを押しのけて、可南子さまが都の目の前に。
 そして可南子さまは、都のタイに手を伸ばす。
 最後の最後に可南子さまに名前で呼んでもらえたから、もう思い残す事はない。
 こうして、可南子さまにタイを直して頂くのも、これで最後──。
「可南子さま……」
「何? 都」
「あの、素晴らしい思い出を、どうもありがとうございました……」
 見上げているのに、涙がボロボロとこぼれ落ちて。
 今まで堪える事が出来ていたのに、ここでは涙が止まらなくて。
 最後の最後に、もうボロボロで。
 だから都は、この場を逃げ出すように、走り出した。
「都、待ちなさい──」
 可南子さまが手を伸ばすけれど、その手は都には届かなかった。
「可南子……」
 紅薔薇さまが、可南子さまの背中を押す。
 だから可南子さまは、弾けるように走り出した。
 ──都を追うため、に。
「ほら、やっぱり退学なんだ」
「……そんな訳ないでしょう」
 不謹慎にも、記事の正当性を認めてギュッとこぶしを握る新聞部員の気勢を削いだのは、指導室から出て来た鈴原先生だった。
「天野さんは、家業のお手伝いをしていただけ。家事手伝いは、リリアンでも奨励しているでしょう? だから模範的な生徒と褒められる事はあっても、罰せられる事はないわ」
「でも、あの様子じゃぁ……」
「ああ、学校側が、この件で彼女のご家族を酷く侮辱してしまって、ね」
 そして、鈴原先生は、新聞部部長の山口真美さまを見つけた。
「ああ、山口さん。悪いけれど、訂正文書いてもらえないかな?」
「申し訳ありませんが、訂正文を書く事は、出来ません。私には、書く事が……」
 頭を下げる──というより、うなだれている真美さま。
「え? どうして?」
「部長、だったら私が……」
 口を挟もうとする京華さんを視線だけで制して、真美さまが続けた。
「今日この時点より、新聞部は一切の活動を停止致します。部員の誰一人、記事を書く事は許されませんので」
「えっ?」
 今度は、大元の記事を書いた部員が、思わず声を上げた。
 当初は、真美さまが自分の味方をしてくれていると思い込んでいただけに、その狼狽は大きかった。
「山口さん、一体どういう事?」
「この、天野都さんに与える影響があまりにも大きいので、訂正文出して終わりにするには、事があまりにも大きいので、山百合会扱いにして頂きました」
「山百合会扱いって……」
 鈴原先生、今度は白薔薇さまや黄薔薇さまを見たが、二人は紅薔薇さまを向く。
「福沢さん、どうするの?」
「……泉ちゃんは、どうしたらいいと思います?」
 三年生のほとんどが、鈴原先生の事を名前で呼ぶ。
 リリアン高等部で同期だからという意味もあるが、それだけ親しまれている証拠でもある。
「どうって……まあ、私は学校側として、謝罪に行かなければならないけれど」
「お手数、おかけします」
 ぺこりと頭を下げる紅薔薇さま。
「いや、そうじゃなくて……大丈夫なの?」
「まあ、こちらの件は、当代の山百合会にお任せ下さい」
「わかったわ。期待してるわよ、紅薔薇さま」
 そして、鈴原先生は、みんなに振り向いた。
「さあ、貴女たちも教室に戻りなさい。今は授業中よ」
 その言葉に、ぞろぞろと歩き出す生徒たち。
 でも、誰一人として、歩行中に口を開く事はなかった。


 授業中なのに、薔薇の館には数人の生徒がいた。
 三色の薔薇さまと、白と黄色のつぼみ、そしてつぼみの妹の歌乃ちゃん。
 そして、事件の責任者たる新聞部部長、山口真美さま。
 都を追いかけて外へ出た可南子さまを除き、山百合会幹部全員が勢ぞろいしていた──のは、まだわかるが、そこに何故かハルちゃんまでもが、ここにいた。
 歌乃ちゃんに袖を引っ張られて、仕方なしについて来たのだった。
 一年生二人でお茶を出し、みんなと一緒に席に着くけれど、歌乃ちゃんの様子がおかしくて。
 瞳子さまにピッタリ寄り添っているかと思えば、ハルちゃんの制服の袖を掴んで放そうとしない。
 まるで、何かに怯えているようで──。
「どうしたの、歌乃。落ち着きなさい」
「だ、だって、お姉さま……みやが、みやが……」
「都さんが、どうしたというの?」
「みやが、絶望してる……」
 どう見ても、歌乃ちゃんの方が絶望してるって顔なんですけど。
「それが、どうかして? 順を追って話しなさい」
「あ、うん……」
 そして歌乃ちゃんは、都の両親が亡くなってからの事を話した。
 その内容は、大体都が生活指導室で話した事と、大差はなかった。
「で、由姉ぇは、知ってるよね? 私が去年の夏休み、一歩も外に出なかった事」
「ああ、例の『天岩戸(あまのいわと)』ね」
「うん。実はあの時、私の部屋で、みやを匿ってたんだ……」
「確かに『天野』岩戸ね」
 紅薔薇さま、上手いっ! じゃなくて。
「みやは全てに絶望してて、誰かが近くで見ていないと、何するかわからない状態だったのよ。口癖のように『死にたい、死にたい』って、そう言ってて」
 部屋の空気が、途端に重くなった。
「だから、荒療治のつもりで……」
 歌乃ちゃんが、ボロボロと泣き出した。
「そんなに死にたいんだったら──って、カッター渡したの。そしたら……」
「……そうしたら?」
 誰も口を開かなかったので、仕方なしにハルちゃんが合いの手を打った。
「みやは『ありがとう』って、そう言って……、手首を──」
 声を上げて泣き出した歌乃ちゃんを、瞳子さまが優しく抱き寄せていた。
 それで落ち着いたのか、歌乃ちゃんが話を続けた。
「それで、みやのお姉さんが、大学辞めたのよ。みやの傍にいるために……」
「で、学校では歌乃っちが、ずっとみやっちを見てた……んだ?」
 声もなく頷く歌乃ちゃん。
 しばらく、誰か彼かのすすり泣きが、部屋の中で聞こえていた。
「しかし、とんでもない物を突いてしまったのね……」
 口を開いたのは、真美さま。
「ゴメンね、祐巳さん。何だかとんでもない事になってしまって」
「……仕方ないよ。ここまで重いとは、私も思わなかったから」
 普段は太陽のような笑顔の紅薔薇さまも、今度ばかりは沈痛な面持ち。
「まあ、みゃあちゃんのケアは、可南子に任せるとして……」
「うん、こっちはこっちで、やる事やっておかないと。大芝居打った甲斐がない」
 紅薔薇さまの名前で、新聞部の休部を発表する掲載文。
 そして、新聞部部長の名前で、事の顛末について謝罪する反省文。
 この二つを、早急に作らねばならない。
 代表者二人は、それぞれ原稿用紙にペンを走らせるのだった。


 可南子さまに腕を引かれて、都が連れて来られたのは、裏門の傍にある古い温室だった。
 小さいながらも、手入れのそこそこ行き届いた温室の中は、まるで絵の具を撒き散らしたように、色とりどりの花が咲き誇っていた。
 紅薔薇さまが一年生の頃は、ろくな手入れもされず、大した花もない温室だったらしいが、その後、紅薔薇さまの成長(?)とともに注目度が増していき、今では別名『紅薔薇のお庭』と呼ばれるようになっていた。
 無論、ここだけにしか咲いていない『ロサ・キネンシス』の花の事は、リリアン高等部の生徒で知らぬものはいない。
 その後、誰かが訪れるたびに手入れをするようになり、今ではその古びた外見に似合わず、多様な花が見られるようになっていた。
 もちろん、メインは薔薇の花なのだが。
 可南子さまは、都を使われていない棚の上に座らせると、備え付けの蛇口でハンカチを濡らしてキュッと絞る。
「ねえ、この花の事、知っていて?」
 可南子さまの言葉に、都はコクンと頷いた。
 言葉に出して返事をすると、声を上げて泣き出しそうだったから。
「そう……」
 可南子さまは、都の横に腰を下ろした。
「ロサ・キネンシス、和名は庚申薔薇。四季咲きの薔薇の、全ての祖よ」
 触れ合う肩の温かさに、都の涙も乾き始めていた。
「でも、ちょっとが付きやすいのが、難点なのよね」
 やれやれと言う口調で話すものだから、つい都も吹き出してしまった。
「貴女は、お姉さまと同じような顔をして、笑うのね?」
 少し離れて、棚の端に座り直す可南子さまは、ご自分こそ蕩けそうな笑顔で都を見つめていた。
「あ、あの……にゃっ!」
 いきなり肩を抱かれたと思ったら、そのまま引き倒されて──ひざ枕?
 可南子さまを見上げる都の顔に、長い艶やかな黒髪がかかって……。
「これで、目を冷やしておきなさい」
 先ほどの濡れハンカチを畳んで、可南子さまは都の目の上に乗せてくれた。
「泣き腫らした顔は、貴女には似合わないわ」
 そんな可南子さまの優しさに触れてしまって、都は嗚咽を漏らした。
「……可南子さまぁ」
「ん? 何?」
「わ、私、リリアン辞めたくないよ……」
 可南子さまは何も言わずに、ただ都の頬にそっと手を添えてくれたのだった。


à suivre...