猫のマリア様 ~白薔薇さまの子猫~(epilogue)

 



 白薔薇さまの話を聴き終えた私は、涙が止まらなくなっていた。
「……何で貴女が泣くかなぁ」
 苦笑しながら、白薔薇さまは私にハンカチを差し出した。
「だって……」
 ランチはちゃんと生きていて、目の前にいるから。
 白薔薇さまがいなければ、ランチも、ちびマリちゃんも、生きてないだろうから。
「……げ」
 急に、白薔薇さまの動きが止まる。
 よく見ると、胸の中央が、ボコッと膨らんでいる。
 深夜のTVで観た、昔のホラー映画に似ていて。
 確か、人食いの宇宙人(エイリアン)が胸を突き破って出てくる……。
 そして、白薔薇さまのセーラー服の胸元からは、拳大の毛玉にも似た物体が出てきて。
「みぃー」
 と、可愛らしく鳴く。
『なっ?!』
 またもハモる、ランチと私。
 出てきた子猫は白薔薇さまの肩まで登り、白薔薇さまの頬を両手でトントンと叩き、何かを催促する。
 白薔薇さまはといえば、口移しで何かを食べさせていて。
 もしや、キャットフードを囓っていたのは、このため?
 すると、猫にとっての聖母とは、この人なのか?
「白薔薇さま、貴女が──」
「蜘蛛だったのですね?」
「な、何ワケわかんないこと言ってるんですかっ!」
「えー、違うのー?」
「違いますよっ。貴女が『猫のマリア様』だったんですね」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
 白々しく惚ける白薔薇さま。
 まったく、さっきの感動を返して欲しいものだ。
「聞いてませんよ」
「『お祖母ちゃん』からも、訊いてないの?」
 首を横に振って答える。
 紅薔薇さまには、その手の話──ウワサ話の真相とかが、非常に訊きにくいのだ。
 優しくて温かいお方なんだけど、厳しいお方でもあるから。
「ふーん。やっぱり自分のことが被ると、誰もが口を閉ざすものなのねー」
 相変わらず、台詞棒読みで話す白薔薇さま。
「え? 自分のことって?」
「相変わらず、妙なところで鋭いね、キミは……」
 頭をポフポフと撫でて、白薔薇さまは誤魔化そうとするけれど、そうは問屋が卸しません。
「ところで、どうして『猫のマリア様』って呼ばれるようになったんです?」
「キミは、さっきの話を聴いてなかったのかね?」
 白薔薇さまは、そう言って私の耳を弄ぶ。
 くすぐったいので、勘弁して欲しいです……。
「き、聴いてましたよぉ。でも、どうしても疑問が……」
「ん? まだ疑問があるの?」
「ええ。例えば、事情を知らない当時の山百合会の方々が、どうしてそのあだ名を容認したのかな、とか」
 今の薔薇さま方を仕込んだ方々なら、さらに上を行く厳しさを持っていたに違いない。
 さらには、当時すでに大学生だった元白薔薇さまの言葉も気になって。
 何がどうして『確かに』なのか、私にはピンとこなかったから。
 初めて、しかも数分会っただけの人にわかって、数ヶ月は一緒に過ごしているはずの私がわからないってのも、何だか癪だから。
 とはいえ、本人から答え訊いている時点で、もうすでに何だかなぁ、なのだが。
「それは簡単よ。知らなきゃ知らない人の方が、そう呼ぶしかないんだから」
 禅問答ですか?
「ありゃ、まだわかんないかな?」
 真剣に悩む私を、白薔薇さまが覗き込む。
「私の名前、フルネームで言ってみ?」
「白薔薇さまの、名前?」


 確か、美祢子(みねこ)さま──毬谷(まりや)美祢子……あ。


「叔父は、私のこと『ネコ』って呼ぶよ」
 なるほど、確かにその通りだ。
 リリアンでは、普通は名前にさん付けで呼ぶけれど、初対面の人なら苗字で呼ぶことだってある。
 苗字が『マリヤ』なら、発音の違いで誰が『マリア』と呼んだとしても、不思議でも何でもない。
 一本取られたというか、こんな簡単なことに気づかなかった自分が情けないというか。
「ん? どうした? 頭痛い?」
 確かに頭痛がします、ええ。
「まあ、傑作なのが、貴女のお祖母ちゃんだけどね」
「紅薔薇さまが?」
「フルネーム、言える?」
 三上恵実留さま、略してミカエル……なるほど。
 聖母マリア様に大天使ミカエル様が薔薇さまなのだから、最強なわけだ。
「ガブリエルの役を取っちゃうし。まったく可笑しいったらありゃしないわ……んぐ」
 大笑いしてたから、子猫が白薔薇さまの口の中にまで入ってしまって。
「私ゃお前を、こんな意地汚い子に育てた覚えはないよ」
 口から子猫を取り出して、白薔薇さまは子猫を叱ってる。
「その子が、ちびマリちゃんなんですか?」
「ん、違うよ」
 白薔薇さまはこの場でしゃがみ、足下にいるランチの前に子猫を置いた。
「ほら、ゴロンタ。お前の孫だよー」
「うなっ」
 目を丸くする猫なんて、初めて見た。
「お? そんな顔してると、もう一つの名前で呼ぶよ?」
 ムッとする猫も、また初めて見た。
 あははーと笑って、白薔薇さまは二匹の猫を撫で回す。
「あの、白薔薇さま?」
「ん? 何?」
 白薔薇さまは、子猫だけを抱いて立ち上がった。
「その子、名前はなんていうんです?」
「名前……ねぇ」
 首を捻って考え込むこと、十五秒。
「ないよ。まだ付けてない」
「えー?」
「だって、この子の名前を付ける人は、私じゃないからね」
 じゃあ、誰なのだろう?
 ちびマリちゃんみたいに、また誰かが呼んだ名前を適当に付けるのだろうか?
「ん? 何か今、失礼なこと考えたでしょ?」
「いえ、そんな。滅相もない……」
「本当にー?」
「本当ですっ。マリア様に誓って」
「まあ、いいけどね」
「でも、真面目な話、名前はどうするんです?」
「だからー、名付け親は別にいるって言ったでしょうが。聴いてなかったのかね?」
 またも私の耳を弄る白薔薇さま。
 だから、くすぐったいんですってば……。
「白薔薇さま、やめてくださいー」
「ふふふ、よいではないか、よいではないか」
「何処の悪代官ですかっ。やーめーてー。きゃん」
 一通りくすぐられて、やっと私は解放された。
「しかし、こんなとこ見られたら『やれやれ、白薔薇さまともあろう人が、後輩いじめ?』なんて言われそうだわ」
 誰に? とは訊けなかった。
「あ、ランチ?」
 何を見つけたか、ランチはまっしぐらに走り出した。
 見ると、私服の人が二人ほど。
 そこまで走ったランチは、二人の足下にじゃれついて。
 隣では白薔薇さまが、抱えた子猫に話し掛けていて。
「お前も、いっぱい可愛がってもらいなさいね」
「え?」
「ん?」
 白薔薇さまと、目が合った。
 白薔薇さまは、まるでマリア様のような、慈愛に満ちた優しい目をなさっていて──。
「……猫のマリア様、か」
「ん? 何か言った?」
 ヤバっ、声に出てたようだ。
「い、いえ、何でもありませんから……」
「そう?」
 白薔薇さまはクスッと笑って、そしてぺこりと頭を下げた。
 その先では、私服の女性が二人。
 ランチを抱き上げて、こちらへと歩いてくるのだった。




fin.