帝釈天がみてる #01

 



「さて……」
 花寺学院高等部、その正門から入って少し進んだところで、福沢祐希はため息混じりに呟いた。
「……どっち行きゃいいんだ?」
 小高い丘の上に立つ校舎、そこにたどり着くためには、当然ながら丘を登らねばならない。
 右手にはハイキングコースにも似た未舗装の山道、左手には石畳で舗装された、なだらかに続く自動車道。
 勿論、どちらを通っても目的の校舎にはたどり着くだろう。
 現に何人かの生徒は、それぞれの道に足を踏み入れていて、立ち止まっているのは祐希ただ一人だったからだ。
「どうした? 行かないのか?」
 訂正、もう一人いたようだ。
 声がした方を振り返ってみると、そこには黒い壁……ではなく、学生服があった。
「新入生か。源平の道を知らないとは、外部生か?」
 体躯(ガタイ)のデカい、見るからに上級生が、祐希を見下ろすように言った。
「いや、ちゃんと知ってますよ、センパイ。オレ、一応持ち上がりなんで」
 部活動が盛んなここ、花寺では、体育会系を源氏、文化系を平氏と呼び、源平合戦に準えて対立しているという。
 なるほど、道行く生徒の、いかにも体育会系は山道を、そうでない者は車道を選んでいるようにみえる。
「紅か白か、己はどっちだ? ん?」
 源氏なら白を、平氏なら紅を選べと。
 その後の一言で祐希がキレなかったのは、それがそのセンパイの『一回目』だったからだ。
「お前みたいなちっこいヤツは、当然紅だろうな。女みたいな顔しやがって……」


 福沢祐希を知る者の、一〇〇人が一〇〇人ともに言うのが「女顔」と「美人」、そして「二度目はない」である。
 真夏の直射日光にさらされても日焼けしない色白な肌に、長い睫毛の切れ長な目。
 小さいながらも筋の通った鼻や、無造作に切り放されたにもかかわらず全く艶を失わない黒髪。
 時折見せる物憂げな表情と眼差しは、年齢に似合わない色気を感じさせ、オトナの『美人』を連想させる。
 決して『美少女』ではなく。
 そしてアニメの主人公のような、ちょっぴり高くてハスキーな声も相まって、男装の麗人と言われても疑われない、むしろそれ以外の何者でもないと言われること暫し。
 ただし、二度同じ事を、「女みたい」と言ってしまった者は、その白魚のような指からは想像のつかない、硬い拳骨をもれなくもらう羽目になる。
 華奢な身体の何処にそんなパワーが、と言うなかれ。
 体躯のハンデをスピードとテクニックで克服した、コンプレックスの成れの果てなのだから。


「別に、紅も白も好きじゃないんで」
「何?」
「幾世も栄ゆるは黒って言うし」
 黒と九郎──義経と掛け合わせる。
 源氏でありながらその身を逐われた義経と、野球が好きでリトルリーグじゃそこそこ名を馳せたにもかかわらず、不慮の事故(?)でその道を断念した自分とを。
「な、ちょっと待て」
 待てと言われて素直に待つほど浪花節な人生を送って来た訳じゃない。
 祐希は目の前の丘を、道なき道を真っ直ぐに登り始めた。
「待て、この野郎! 女みたいな顔しやガッ!」
 センパイは、最後までは言えなかった。
 眉間に松ぼっくりが当たって、その場で悶絶しているからだ。
 当然、それを投げたのは祐希である。
「センパイだから、それで勘弁してやる。二度目はないぜ?」
 そう言い残して、祐希は丘を駆け上がったのだった。
「くそ、なんて速さだ。キツネか、ヤツは……確かにキツネ顔だったが」
 福沢祐希、後に『花寺の女狐』と呼ばれる事など、この時には知るよしもなかった。


「待ちたまえ」
 丘を登りきったところでまたも祐希は呼び止められた。
 先の上級生よりは小柄だが、何かスポーツをしているのか、標準的な男子高校生よりも一回りは大きいだろう。
 そして、威厳というか風格は先ほどの上級生の比ではない。
 これはとんでもないモノにぶち当たったなぁ、と祐希は思った。
「入学早々『関所破り』か。生徒手帳を出したまえ」
 一々言い回しが気障っぽいが、それが板についていて、祐希に反論させる気を起こさせなかった。
「生徒手帳にゃ書いてなかったですけどね……」
 言いつつ、祐希は素直に手帳を差し出した。
「……福沢祐希、君がか」
 手帳に貼った顔写真を確認して、そのセンパイは呟いた。
「そういうセンパイのお名前は?」
「これは失礼。僕は柏木優。この花寺学院の三年で、生徒会長を務めている」
 胸ポケットからペンを取り出し、柏木センパイは祐希の手帳に何やら記入している。
 こりゃペナルティか……とも思ったが、返って来た手帳を見ても、それらしいものは書かれておらず、ただ試し書きのようなものがあるだけだった。
「ははは、君は面白いな。それに色気もある」
 考えが顔に出る百面相は姉の専売特許、面白みがないポーカーフェイスこそが祐希の表情(かお)だったはず。
 それよりも、聞き捨てならない言葉があった。
「それ、どういう意味っすか?」
 この男(センパイ)には通じないだろうなぁ、と思いつつも威嚇する祐希。
「ふむ、ちょっと失礼」
 案の定、何事もなかったかのように、柏木センパイは祐希の顎を持ち上げた。
「えっ?」
 逆に面食らったのは祐希の方だった。
 物心ついてからというもの、ここまで無防備に肌に触れさせた事など、家族を除けば祐希の記憶にはない。
 それが、声をあげることも出来ないまま、思うがままに上下左右に向かされている。
「やっぱりな。さっちゃんの好きそうな顔だ」
「さっちゃん?」
 誰だ、それ。
「僕の従妹であり、婚約者でもある」
「婚約者だぁ~?」
 およそ高校生に似つかわしくない言葉に、祐希のポーカーフェイスは完全に崩れ落ちていた。
「その顔、いいね。思わず頂きたくなる」
 覆い被さるように、柏木センパイの顔が近づく。
 だが、そこで目を閉じるなんて可愛らしい真似は、祐希には出来なかった。
「あ、アンタ……な、何を……」
 声が掠れる。
 喉が渇いて張り付いて、痛みすら感じる。
「光の君、ここでしたか」
 ガサガサと薮をかき分けてやって来た男の声が、柏木センパイを止めた。
「あ、お前は……」
 空いていた手を挙げただけで、今度は柏木センパイがその男を止めた。
「さて、お巫山戯はここまでにしようか」
 今まで祐希の頬に添えられていた手が離れ、そのまま下へ、肩をポンと叩く。
「何か困った事があったら、僕のところへきたまえ。力になってあげよう」
 じゃ、とフリーズする祐希をその場に残して、センパイたちは去っていった。


 いや、一番困ってるのは、アンタの存在だから……。


 などと言えるはずもなく、祐希は大きくため息を吐くのだった。


 植え込みを抜けると、祐希はそこいらにいた生徒たちの訝しげな視線を浴びた。
 祐希にとって、そのような事は日常茶飯事なので、本人はあまり気にしていないのだが。
「おい、あいつ、何処から出て来た?」
「いや、見てなかったけど?」
「急に湧いたのか? てか、人間か?」
 失礼な。
 同じ制服を着た、同じ学校の生徒だよ。しかも学院の敷地内だろうが。
「ん、んん」
 祐希がわざとらしく咳払いをすると、そいつらは途端に目を背ける。
 これ幸いにと祐希はその場を後にした。


 校舎前の掲示板に貼った模造紙には、新入生の名前とクラスが書いてあった。
 祐希は自分の名前を確認して、校舎に入った。
 下足箱にも名前が貼ってあったから、特に迷う事もなく脱いだ靴を突っ込んで、室内履きに履き替える。
 そして教室に向かう階段の途中、踊り場で祐希はふと足を止めた。
「何やってんだ?」
 ドスの効いた声で祐希が怒鳴る。
「……あん?」
 と、やっぱりドスの効いた声が返ってきた。
 壁に向いてた男が二人、振り向いて祐希を睨み付けるが、祐希は男たちが隠していたと思われる、華奢で小柄な人物に釘付けになっていた。
「……祐巳?」
 なワケがないと、祐希は言ってから気がついた。
 実の姉である福沢祐巳は、お隣のリリアン女学園の入学式に参列しているはずなのだ。
 祐希と同じく、新入生として。
 しかし、ならばこれは一体誰なのか?
 他人のそら似にしては、似すぎている。
 背格好は、確かに男の枠内だ。
 祐巳に比べて身長は一〇センチ以上高く、体格も一回り大きく見える。
 華奢ではあるが、線の細さは感じられない。
 ……若干なよっとした雰囲気は否めないが。
「……まさかとは思うが、イジメか?」
「だったら、どうなんだ?」
 祐希の問いかけに苛立ちを隠せない様子で、男の一人が答えた。
「……ダセぇ」
「何だと? もう一度言ってみろ」
「いや、耳悪いのか? それとも頭が悪いのか? 何度でも言ってやるが、ダセェ。ダサすぎるぜ、お前ら」
 勧善懲悪ならぬ完全挑発。
「だいたい、そんな大きな図体でこんなちっこいのを、しかも二人がかりだ? そんなにこいつが怖いのか?」
「こ、怖いわけねぇだろ、こんな中身が女のカマ野郎が……」
 祐巳に似た子が、涙を堪えてギュッと唇を噛みしめている。
 怖さ半分、悔しさ半分。
 そんな彼を、祐希は姉と重ねて見ていた。
「そんなの相手に二対一って、端で見ててビビってるようにしか見えないぜ?」
「黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって……」
 黙ってないだろ、ちゃんと喋らせてやってるし。
 それに、何がいい気なものか。
 最高に気分悪い。
 ……いや、最低か。
「見たところ、アンタら二人は源氏だろ? で、こっちは平氏か」
 当てずっぽうだが、間違ってはいないだろう。
「体育会系の源氏だから、当然力自慢だよな?」
「あ、ああ。勿論だ」
 ちょっと誉めてやれば気をよくしたらしく、胸を張っている。
「で、明らかに非力な平氏に腕力で勝って、アンタらは満足なのか?」
 極力、穏やかな口調で、諭すように言い切るのがポイント。
 ふと我に返った時に、とことん落ち込むように。
 上げるだけ上げておいて、とことん叩き落とす。
 気分はバレーボールのアタッカーか(笑)。
 当初の一触即発的な雰囲気が消え失せ、へこむ二人に溜飲を下げたのか、祐巳似の子が急にそわそわし始めた。
 トイレか?
「その辺りで勘弁してやってくれないか?」
 聞き覚えのある声が降ってきた。
『ひ、光の君?!』
 振り向くと、そこにはあのキザったらしい柏木センパイが、いつの間にか立っていた。
「光……源氏か?」
「ん? 僕はどちらにも所属しているよ。そんな事より……」
 センパイが睨みを効かすと、威勢のよかった男たちが竦み上がる。
「僕はいつも言っているハズなんだけどね。同じ学院に在籍している以上、下級生は子も同然だと……」
『は、はい……』
 じゃ、あれか? 上級生は親も同然、てか?
「もういい、行きたまえ」
『は、はいっ』
「あー」
 慌てて立ち去ろうとするが、センパイの声が届いたか、その場で直立不動となる二人。
「次は、ないからね」
『は、はい~っ』
 今度こそ、二人は脱兎のごとく駆け出した。
 あっという間に消え去る二人を見送って、柏木センパイは祐希たちに向き直る。
「済まなかったね」
「イヤ、センパイが謝ることじゃないっすよ」
 祐希の言葉に、センパイはにやりと笑う。
「この花寺には、あんな先輩だけじゃなくて、少しはマトモな先輩もいるって事を知ってくれれば、それでいい」
「はあ……」
 これは祐希に向けた言葉じゃないだろう。
 その証拠に、祐巳似の子が勢いよく頷いていた。
 ……首が千切れんばかりに。
「じゃあ、僕はこれで。何かあったら呼んでくれたまえ」
 片手を挙げて、颯爽と歩き去る柏木センパイと、それを目をハートにして見送る祐巳似の子……。
 何だか、祐巳がセンパイに熱を上げているように見えてイラっときたのは、ナイショのは方向で。


「あ、あのさ……」
「ぁあっ?」
 つい、声を荒げてしまった。
「あ、貴方、光の君と、どんな関係なの?」
「どんな関係って言われてもなぁ。生徒会長と一生徒? それ以外は無関係だな、今日初めて会っただけだし」
 しかし、言うに事欠いて、これか? 他に言うことないのか?
 まあ、礼を言って欲しくて介入したワケじゃないから、別にいいんだけど。
「あ、ゴメンなさい。助けてくれて、ありがとう」
 どうやら顔に出ていたようだ……。
「いや、大したことしてないから。災難だったな……ぐぇっ」
 いきなり祐希の首が絞まった。
 その場を立ち去ろうとする祐希の学生服の詰襟を、背後からその子が掴んだためだった。
「ちょっと待って? ユミって誰?」
「……オレの姉だよ。実の、な。アンタに似てるんだ。何故か……な」
 そう言って踵を返すと、またも祐希の首が絞まる。
「ぐぇっ……って、お前、オレに何か恨みでもあるのか?」
「あ、ゴメンなさい」
 ……怒るに怒れないのは、声までが祐巳に似てるからだ。
 もっとも、風邪ひいた時の祐巳の声に、だが。
「今度は何だよ?」
「貴方、お名前は?」
「福沢祐希。じゃあな……ぐぇっ」
 二度ある事は、である。
「……何だよ? ったく」
「アタシ、有栖川……アリスって呼んで?」
「……機会があったらな」
 今度こそ、祐希はその場を立ち去ることが出来たのだった。


「……てなことがあったな。そっちは?」
 包丁を振るう手を止めて、祐希は振り向く。
 その先には、レタスを千切る祐巳がいる。
「うーん、今日は学園長とシスターのお話で終わったよ。さすがに薔薇さま方にはお会いしてないなぁ」
 トップスターだしね、と祐巳は笑った。
 祐巳の通うリリアン女学園は、生徒会長が三人いて、それぞれ紅、白、黄の三色の薔薇の名前で呼ばれるそうだ。
 もっとも、ある意味魔法の呪文か早口言葉か、そんなよく分からないモノを覚える気は、祐希にはない。
「ほら、祐巳、トマトときゅうり。盛り付けは任せる」
「おっけ~。うふふ~」
 誰の真似だ? てか、似てねぇし。
 気を取り直して、祐希はフライパンにオリーブ油を注いでいく。
 今日のメニューは、チキンのプロヴァンス風カツレツ。
 鶏肉をスライスしてチーズを挟み、ハーブを混ぜこんだパン粉で衣付けして、オリーブオイルで焼くようにして揚げていく。
 仕上げにガーリック風味はのトマトソースを掛けて、完成。
 今日のハーブはパセリと、バジルを切らしてたのを、すっかり忘れていたから、青じそで代用。
 こんな感じで福沢家の夕食は、主に祐希が作っている。
 中学に上がる頃、身体を壊して野球を止め、半ばグレかかっていた祐希に料理を教えたのは父だった。
 母も、ちょうどその頃病に伏せってしまい、料理をする者がいなくなったのだ。
 祐巳は……自分でもわかっているのか、器用ではない分、丁寧に作業をこなす。
 確かに丁寧だが、時間がかかり過ぎるのが難点なのだ。
「祐巳、出来たぞ。そっちは?」
「へ? もう? ちょっと待って」
 調理実習じゃ時間内に指定の一品を作ることが出来る祐巳だが、マルチタスクが要求される毎食の支度は、さすがに手に余るようだ。
 ご飯を炊いているうちにおかずを作って汁物作って、付け合わせからデザートまで、一気に作らなきゃならないのだから。
 コース料理みたく、一品ずつ順に出していけばいい?
 じゃ、作ってる人は、いつ食べるの?
 お母さんは、お店のシェフじゃありません。
 もっとも、祐希は母親じゃないけれど。
 祐巳がサラダを一品作る間に全ての作業を終え、祐希はエプロンを外す。
「じゃ、親父呼んで来るから、あとはよろしく」
「おっけ~。うふふ~」
 だから、誰の真似だよ? それ。
 しかも似てねぇし……。
 頭を抱えて、祐希はキッチンを後にするのだった。




to be continued...