夢で逢えたら…。“prologue”



 第四クォーターも残り一分を切ってなお激しすぎるフットワークに、あたしのバスケットシューズが悲鳴のようなスキール音を立てた。
 あと三秒……二秒……一秒、よしっ!
 会場中に、二四秒ヴァイオレーションのブザーが響き渡った。
 自陣ボールとなってから二四秒以内にシュートしなければ、相手ボールになる。
 そのルールを利用したのだ。
 二点ビハインドの現状で残り時間を考えると、ファウルゲームでクロックを止めても意味がない。
 むしろ、フリースローを与える方が危険だった。
「ナイスディフェンス、香澄(かすみ)」
 親友のメグ──桜沢(おうさわ)恵美(めぐみ)が握り拳を突き出してくる。
「潰してくれて、サンクス」
 あたしがディフェンスに専念出来たのは、相手のパスコースを潰してくれたメグやチームメイトのおかげでもある。
 あたしも拳を突き合わせ、彼女に応えた。
「しかし、あと五秒か……、キツいね」
「ワンプレイだね」
 バックコートに戻りながら、あたしたちは話していた。
「香澄っ! メグっ!」
 コートの外から、声がした。
 みると、エンドラインでコッヒー──小比類巻(こひるいまき)詩織(しおり)先輩が審判(レフェリー)からボールを受け取るところだった。
『はいっ!』
 それだけで、あたしたちはコッヒー先輩の言わんとしたことを理解した。
 あたしはセンターライン付近で待機し、メグはスローインを妨げようとする相手にスクリーンを掛けに行く。
 その甲斐あってか、コッヒー先輩は円盤投げのようなフォームで思いっきりボールを投げ入れることが出来た。
 瞬間、あたしはフロントコートに向かって走り出す。
 でも、あたしがボールを手にしてから進むはずのゲームクロックは、すでに動き出していた。
 おそらく相手の指がかすっていたのだろう。
 ボールをキャッチして、ワンドリブルで急停止。これで二秒。
 あたしを追いかけてきた相手は勢いを殺しきれず、ディフェンスに入るのが一歩遅れた。
 その隙を突いて、あたしは超クイックモーションでシュートを放つ。
 ボールがあたしの指を離れるのと、ゲーム終了のブザーが鳴るのは、ほぼ同時だった。
 水を打ったように静まる会場に、ザシュッとネットとボールの擦れる音がした。
 審判の合図(ジェスチャー)は、高く挙げた三本指を振り下ろす動作。
 スリーポイントシュートの成功、そして、試合終了。
 結果、今年度の全国中学校体育大会バスケットボールの部は、一〇〇対九九の一点差で東京代表・私立城南学院中等部を下し、我が愛知代表・市立西中の優勝となった。
「あーあ、負けた負けた」
 案外、さばさばした表情で、相手の四番(キャプテン)が右手を差し出してきた。
「まさか、あの速度で止まれるとはね。完敗だよ」
「あ、どうも」
 あたしもその手を受け取り、握手する。
「わたし、柚原(ゆずはら)深雪(みゆき)。『おユキ』って呼ばれてる」
「あ、あたしは山咲(やまさき)香澄です」
「で、香澄は高校何処行くの?」
「へ?」
 いきなり呼び捨てにされたこともあって、思わず変な声を上げてしまった。
「いや、わたしさ、この夏終わったら名古屋に引っ越すんよ。親の都合で。で、どうせなら同じ高校行った方が面白いかと思って」
「あ、あの、あたし、二年なんですけど……」
 あたしの言葉に、おユキさんの目が点になった。
「え? じゃあ、一年から愛知のスタメン張ってたの?」
「ええ、まあ。メグも……あ、うちの八番も同い年ですけど」
「……こりゃ、来年も勝てないね。城南(うち)は……」
 おユキさんは苦笑いしながら、今度はコッヒー先輩に話しかけに行った。
「お疲れ。いい試合だったな」
「へ?」
 目の前には、壁……と言ったら失礼だが、それくらいの身長差がある。
 声の主は、愛知が誇るスーパーPG(ポイントガード)の黒木貴之選手だった。
 一八〇センチにも届かんとする身長は、まだまだ伸びる余地がありそうで。
 ただ細長いだけじゃなく、しっかりとした強靱な体躯は、C(センター)でも通用するだろう。
 垂直跳びは一メートルを記録し、中学生でダンクシュートの出来る数少ない選手で、しかも顔もかなりよく、バスケに携わる小中学生の憧れの的だ。
 もちろん、あたしも憧れて……。
「ん? オレの顔に何か付いてる?」
 不躾にも見惚れてしまっていた。
「あ、その……すみません……」
 赤面して俯くあたしの頭に 、ぽふっと大きな手が降った。
「まあ、見ててくれ。オレたちも勝ちに行くからさ」
 この後行われる男子の決勝戦は、前回王者の新潟代表・市立万代中対愛知代表・市立北中。
 女子と同じく、男子も昨年と同じカードで、雪辱を果たしたいのもまた同じ。
「あの、頑張ってくださいっ」
 振り絞ったあたしの声に、黒木選手(さん)は背中越しに軽く手を挙げ、応えてくれた。
 その仕草がまた格好よくて、つい見惚れてしまっていたのは……チームのみんなにバレていた。


 男女ともに優勝し、最優秀選手(MVP)には男子は黒木さんが、女子はあたしが選ばれた。
 優秀選手(ベストファイブ)には、男子は優勝した北中から黒木さん、白根さん、松任谷さんの三人が選ばれ、女子は西中からコッヒー先輩とあたしとメグ、東京城南からおユキさん、三位に入った岐阜代表の錦織さんが選ばれた。
 そして、優勝の余韻もそこそこ、地元名古屋に帰っての代表解散式。
 それは、今まで西中女子バスケ部を率いていた三年生部員の引退式でもあった。
「みんなのおかげで、有終の美を飾ることが出来たよ。本当にありがとう」
 キャプテンの言葉に、部員みんなが涙した。
 辛く厳しい、そして楽しくて苦しかった練習風景が、脳裏をよぎったから。
 それが報われた嬉しさと、そして寂しさが一気に押し寄せたから。
「さて、いつまでも泣いていちゃ終わらないし始まらない。次のキャプテンは香澄でいいね?」
 キャプテン直々の指名に、誰も文句は言わなかった。
「副(サブ)はメグ。香澄のフォローを……てか、ほどよくブレーキ掛けてやって。放っとけば何処までも暴走しそうだし」
 あはは、とみんなが大笑い……。
「じゃ、最後にエール、行こうか」
 キャプテンの声に、全員が輪になる。
「西中ーっ、ファイッ!」
『オーッ!』
 みんな、抱き合って泣いた。
 これで、三年生部員が中学バスケのコートに立つことは、もうない。
 そして、あたしが中学バスケのコートに立ったのも、それが最後だった。
 みんなと別れた帰り道、家まであと数十メートルといったところで、車があたしに向かって突っ込んできたのだ。
 あとで聞いた話、運転手は夜勤明けでつい居眠りをしてしまったと言ったとか。


 そんな『つい』で、あたしの足が、あたしの希望が、あたしの未来が潰された。




to be continued...