天岩戸の七日間


「ごめん、歌乃ちゃん、ちょっといいかな?」
「って、どうしたの、都、まるで、家出・・・」

 玄関には大きな旅行バッグとボストンバッグ。
 ちょっと友達の家に遊びに来た、という量じゃなかった。
 何よりも気になったことは、
 その荷物が整然としていなかったこと。
 普段の都ならそんなことはまずありえない。
 修学旅行の時だって、他の生徒よりもふた周りも小さいバッグで大丈夫なくらい、しっかりやりくりするのが性分のはず。
 でも、いまのその荷物は、そう、まるで慌てて入るだけ持ってきたかのようだ。

「ま、まずは部屋にあがって。」
「ん、ありがと。」

 その声には、感謝の気持ちというよりは、
 やっと落ち着けるんだ、という気持ちが入っていたようだった。
 ちょっと頼りないような足取りで、二階の私の部屋に歩いていく様子を
 私はただ、見続けることしかできなかった。

 いつもなら、困っているとか、気が抜けているとかはすぐに察しがつくはずなんだけど、
 今回だけはそれがどうしてもできない。
 だって、都は一度も顔を向き合わせてくれなかった。

 常に、明るい笑顔を皆に向けている、あの、都が。
 今日だけは、前髪で表情を隠し続けていた。

 --- 一日目 ---

 かれこれ1時間になるだろうか。
 こっちから話しかけても、何も答えてくれない。

 背中を壁にもたれかけ、両足を両手できつくかかえて、
 ありとあらゆるものを受け付けないでいよう、という雰囲気だけが伝わってきた。

 こんな都は見たことがない。

 話しかけても答えられないじゃあ、
 こちらからできることは、ないのかなあ。

 うーん、こういうのって、どこかで見たような気がする。
 あ、そうか、
 令姉ぇがずっと外にいっていて、
 かまってくれる相手がいないで、すねていたときの由乃姉ぇだ。
 あの時はたしか、ベッドの中でずっと顔を見せてくれなかったんだっけ。

 すると、今の都は何かに対して拗ねている?
 いや、それとも少し違う気がする。
 もっと、悪い予感。

 もし、私が家にいなかったら、都はどこに行っていたんだろう?
 あの荷物からすると、家にいられなくなったに違いない。
 確か、お姉さんがいたはずだから、そこにいくつもりだったのかな。
 そして、そこにもいけなくなったから・・・私のとこか。

 どこにいるのかわからなくなるよりは、今ここにいるだけで良しとしよう。

 --- 二日目 ---

 昨日から都は何も食べていない。
 どこかに動こうともしない。
 いつ眠っているのかすらわからなかった。
 時々うなされるような声がしたと思ったら、
 おとなしくなる、その繰り返し。
 眠ると怖い夢を見ている、のかもしれない。

 こちらから話しかけても一切、返事はなし。
 さすがに両親が心配するとまずいと思い、こちらから電話をしてみたけど、
 なぜか繋がらない。
 以前聞いていたお姉さんの留守電には伝言したけど、まだ留守みたいだ。

 どうやら、都の側にいられるのは、今は私だけらしい。

 ちょうど家にやってきて丸1日を過ぎた頃だろうか。
「歌乃ちゃん、ごめんね。」

 ただ、一言だけ。
 側にいる私でも聞き取れるぎりぎりの小さな声があった。

「ん、ま、ほらさ、今は夏休みだしさ。
 友達が遊びに泊まりに来ることだってよくあることだし。
 全然大丈夫だよ。」

 深刻な声に返事するには不似合いだけど、
 せめてもの雰囲気を和らげたくって、努めて明るく、軽い口調で答えた。

「でも、せめてさ、食事くらいしようよ。
 今日のサンドイッチは、私の自信作なんだから。ね。」

 いくらなんでも食事をしないというのは、心配だ。
 唯でさえ、なんだか精神的に参っている様子なんだから、
 せめて、身体面だけでも普通になってもらいたかった。

「・・・わかった。」

 やっと、都はこの家にきて、はじめての食べ物に手をつけてくれた。

 かなりまいっているみたいだ。
 テストの点が悪くたって、先生に叱られたって、次の日にはけろっとしていた
 あの都がこうなるだなんて。

 いったい何があったというの?

 --- 三日目 ---

 都のうなされる声が止まらなくなってきた。
 もう、限界なのかもしれない。

 医者を呼ぶからね、と言ったら、無駄だよ、とやんわりと拒絶された。
 じゃあ誰かに何かされたの、と質問したら、違う、どだけ答えてくれた。

 昨日よりはマシになったのか。
 こちらからの問いかけに、わずかながらも答えてくれている。

 そうだ、

「みやの家に電話しても繋がらなかったけど・・・」

 突然、空気が固まった。
 でも、いまさらなかったことにはできないので、かまわずに続ける。

「あの・・・このこと、家族は知っているの」

 友達の家とはいえ2泊以上も外泊していたら、普通の家庭なら心配するだろう。
 でも、都の家からは電話がなかったのが何か引っかかる。

「もしかして、旅行中?」

 家族が都を置いて旅行にいったので、
 一人だけ残された都が拗ねているだけ、であればいいと思った。
 それならば笑って慰めればいい。

 しかし、都からは返事はない。
 どうやら旅行中ではないらしい。
 じゃ、家族は今いったいどこへ?

「・・・おそらのむこう・・・」

 まるで、幼稚園児が言うかのような単語。
 都らしくない言葉、ではあったけど、嘘とも思えない。
 おそらの、って。
 飛行機?海外旅行?
 いや、それならば、「むこう」なんて言葉は使わない。
 そう、これはよくある表現。
 子供にいなくなった人がどこにいるか教えるときの、上手な言い訳。

 つまり、そういうことなんだ。

 声をかけることはもうできなかった。
 ただ、私にできたのは、
 都を抱きしめることだった。

 そして、わかってしまった。
 あの、元気いっぱいの都の体が一回りも小さくなっていたことに、
 涙はすでに枯れ果てたあとだったことに。

 ここにいるのは、私がよく知っている都ではなかったんだ。

 --- 四日目 ---

「すいません。そちらは前橋さまの御宅でしょうか。」

 ずいぶん慌てている声が電話の向こうからしてきた。

「はい、前橋ですけど。」
「そこに、うちの都がお邪魔しているというのは本当でしょうか」
「ええ、まあ・・・」

 さすがにあの状態であることを説明はできない。

「私は都の姉の・・・」
「はい、存じております、私は都さんのクラスメイトの歌乃です。」

 電話越しに、ほっとしたような声が聞こえてきた。
 今まで探していたに違いない。

「ああ、よかった。」
「よかったじゃありません。」

 自分でも信じられないくらいの勢いで言ってしまった。

「いま、みや、すごく不安定な状態なんですよ。
 それなのにどうして、今の今まで・・・」

 都が危険な状態である以上、怒りがおさまらなかった。
 どうして一人にしていたのかと。

「ごめんなさい。
 都の好意に甘えていたの。
 私の前では元気なそぶりをしていたから、気づかなかった。」

 そうだ、都はそういう子だ。
 誰よりも周りのことに気がついて、
 自分のことを後回しにするような。そんなできた子。

「それで、大丈夫と思って、家を空けていたらこんなことになってしまっていて。
 できる限りそちらに早く行くので、もうしばらくだけ、都のこと。
 お願いします。」
「わかりました。できるだけ早く来てくださいね。」

 私の返事に安心したのか、すぐに電話が切れた。
 そういえば、ずいぶん電話の声が遠かったような気がする。
 家からじゃなかったのか・・・
 もしかしたら、お姉さんはお姉さんで大変なのかもしれない。
 きっとそうに違いない。
 いま、あの姉妹は二人っきりだけなのだ。

 そうだ。
 お姉さんのことを一刻も早く報告しないと。

 階段を急いで駆け上る。

 都はまだそこにいる。
 最初に来たときと同じ格好のまま。
 そうか、家では気丈に振舞っていたけど、
 お姉さんを送り出して、一人っきりになって、気が抜けて、
 それで・・・。

 じゃあ、もう私にできることは唯一つ。
 都を一人っきりにさせないこと。
 お姉さんがやってくるまでは、私が都の側についていよう。

 --- 五日目 ---

「みやー、こっちこっちー」

 自分では動こうとしない、いや、多分動く気力がないんだろう。
 だから、無理やりお風呂場に連れて行った。
 やさしい言葉で心を癒すことはそうそうできることじゃないけど、
 都の体だけなら、私にだって癒すことができる。

 どうにかして全身を綺麗にした後、
 私の部屋で髪を整えることにした。
 痛んでいた髪をやさしく梳かし、
 都らしい、あのポニーテールを復活させる。
 私のお気に入りのリボンを最後に飾りつけると、

「ありがとうね、歌乃。
 こんな私の為に・・・」

 単語だけではない、都の言葉がやっと聞けた。

「あー、気にしない気にしない。
 友達の髪いじるのって、結構楽しいんだから。」

 私がしていることは、なんでもないこと。
 そう、友達同士ならあたりまえの、普通のこと。

「困っているときはお互い様。
 さ、できたよ。」

 このとき、本当はもっと気をつけるべきだったに違いない。
 ちょっといい感じで髪をセットできたから、
 それを見せたかっただけ。

 都を化粧台の前に座らせて、みてもらうつもりだった。
 でも、鏡に映っていたのは。
 都であって、都ではなかった。

「・・・」

 死んだ人の後を追う、ってことは、こういうことなんだ。
 死んだ人のことだけを考え、想いめぐらせ、
 自らの命を縮める。
 私にはわからなかったけど、いままさに都がその状態に、なっていった。

 --- 六日目 ---

 昨日から私は一睡もできなかった。
 都の口からは恐ろしい言葉が絶えずでてきているから。

「私なんか死んじゃったほうが・・・」
「死んだら楽になるのかな・・・」
「会えるかな、お母さんに・・・」

 今にも消えそうな自分の顔を見てしまったことで
 危険な方向にしか頭が回っていないんだ。

 私が何を言っても、聞こえていない。
 もう、口癖のようにただ、「死にたい」とだけ。

 だから、変な気を起こさないように、
 ずっと見張っていた。

 もう、私の知っている都はここにはいない。
 私の声も届かない。
 お姉さんもまだやってこない。
 手詰まり状態が続いている。

 朝からずっと同じ言葉が繰り返されている。
 ただ、口癖のように死にたいといっているだけ。
 もしかしたら、一切考えるのをやめているだけなのかもしれない。
 それなら、声以外の刺激には反応するかも。

 これからすることは、一種の賭け。
 私が知っている都なら絶対しないこと。
 そして、いまでも、心の奥底ではそうであるに違いないと信じたいから。
 だから、
 私は最後の希望として、
 最も危険な行為を選んだ。

「そんなに死にたいんだったら・・・」

 そう言って都の目の前にカッターを差し出した。
 これで、正気に戻るなら、と。

 でも・・・
 都の取った行動は・・・

「ありがとう。歌乃ちゃん」

 そう言って、カッターに手を伸ばし、
 まるで、そうすることが当然のように、左手首に刃を立てた。

 目の前の光景が信じられなかった。
 ここにいるのは誰?
 私の大好きな都はどこ?

 彼女の手首に赤い線が現れて、ようやく私は動くことができた。

「バカ。」

 言うやいないや頬を叩き、
 カッターを取り上げる。

「だって、生きていたってしょうがないって・・・」

 左手を頬で押さえながら。
 感情のない人形のように答えがかえってきた。

 私は先ほど叩いた右手で、
 今度はやさしく都の頬に触れる。。

「お願いだからそんなこと言わないで。
 都がいなくなったら私が悲しくなるじゃない。」

 今のままじゃだめだ。
 いつもの彼女なら冷静に判断する理性が、もう残ってはいない。
 早く、何がおかしいのか、気がつかせないと・・・

 両手で彼女の顔を支え、
 どこにも逃げられないように。
 目と目で話せるようした。
 少しでも私の声が傷ついたままの彼女に届くよう願いながら、

「じゃあ、本当に生きていてしょうがないって思っていたのなら、
 どうして私の家にきたの?
 もし、生きたくないんだったら、
 私に会わなければ良かったじゃない。」

 都の顔が戸惑いでいっぱいとなった。
 どうして私の家にやってきたのか、
 それすら、もうわからないんだね。

「わからないなら教えてあげる。
 みやは本当は生きたかった。
 寂しかった。
 だから、誰もいない家を出て、
 私の家にやってきたの。」

 やっと、目に色が戻ってきた。
 私の両手に彼女の手が重なってくる。

「私たち、友達じゃない。
 寂しいときは、一緒に泣いてあげるから。
 笑えるようになるまで、ずっと側にいるから。
 だから、ここに気の済むまでいていいんだよ。」

 私の手を、しっかりとつかんでくる。

「歌乃ちゃん、私、ここにいてもいいの?」
「当然じゃない。」
「泣いても、いいの?」
「貴女の気の済むまで、存分に。」

 都の頭をやさしく抱き、

「こんな私の胸でよければ。」

 私の背中に都の腕がまわってきて、
 静かに彼女の鳴き声が部屋の中を埋めていった。

 その晩は一緒のベッドで過ごした。
 何度も夢の中でうなされている都に
「大丈夫だよ。」と声をかけつづけ、
 両手をしっかりと握り締めた。
 そうして、ようやく、都は眠ることができたのだ。

 --- 七日目 ---

 都のお姉さんが朝一番でやってきた。
 そのころには、都もまあ何とか普通の受け答えができるまでにはなっていったので、何とか、家に戻ることができたみたいだ。

 あのお姉さんがいる限り、先日のようなことは起きないとは思うけど、
 もしいない時があるなら、そのときは、私が見守るしかない。

 一見普通のように見えても。
 そんな簡単に立ち直れるようなものじゃない。
 あの晩のおびえる様子を見る限り、それは期待してはいけないことだ。

 昔の、あの明るい都には、戻る日はくるのだろうか?
 いや、戻さないといけない。
 それが、友達である私の役目。

 END




 今度は、へるつさまより、とても切ないお話を頂いてしまいました。

 ページ化していて、涙が止まりませんでしたよ、これは……。
 辛くて悲しくて切なくて。
 歌乃ちゃん、よく投げ出さなかったな……と、思ってしまいました。
 いい友達がいて、よかったね。都……。

 このお話の感想は、へるつさまのサイト“マリア様には見せられない”まで。
 次のお話も頂けるよう、ガンガンと感想ラッシュを、よろしくです。